俳句では擬人化や比喩が嫌われる傾向があります
嫌われる理由の一つですが、擬人化や比喩というのは、あくまでもその人の主観的な表現になる、と言うことがあげられます
蛙が寂しく鳴いている
雲が綿あめのようだ
などの表現は、良く考えてみると、作者だけの主観的な見方とも言えます
これが時として、嫌われる理由ともなります
雲が大波のようだ、と言ったとき、聞いた人が「なるほど、そうだ」と思ってくれればいいですが
そのように思わない人もいます
「雲が大波?意味が分からないんだけど・・・」
となることもあります
また、擬人化や比喩は、一度は誰かが言ったような表現を使ってしまうことが多くあります
二番煎じの表現の俳句をみた読者は
「この表現聞いたことあるよ」「この表現、だれかのパクリでは?」と思うでしょう
つまり、擬人化や比喩は
「理解されない表現を使ってしまうことで、読者に嫌われる」
「ありきたりの表現を使ってしまうことで、読者に嫌われる」
そんなリスクを含んだ表現技法なのです
このような問題をクリアして、擬人化や比喩が成功する確率は、千回に一回くらいと言われています
きわめて非効率な表現方法とも言えます
ただ、非効率な表現方法であるが故、多くの人が手を付けないという事実もあります
この表現方法を極めることで、個性的な俳句が作れるようになるかもしれません
話は変わりますが
人生の中で小学生の時期は、物を擬人化してみる能力が最も高まる時期です
子供たちと話していると、雲を「綿あめみたい」「富士山みたい」と言うことが良くありますよね
擬人化する能力の高まってゆく小児期には、むしろ積極的に擬人化や比喩の俳句を作った方が良いと思われます
それこそ、誰もが考えもつかない、大人になってからでは思いつかない表現の俳句を生み出すかもしれません
俳句を教えるのは、大抵が大人の側です
大人の凝り固まった考えで、一方的に「擬人化はダメだ」と言うのも好ましくないのかもしれません
俳句は自由です
どのような表現を使っても良いのです
擬人化や比喩の俳句の問題点を理解して
自分が「作りたい」と思うのであれば
気後れする必要はありません
どんどん作ってゆくべきだと思います