俳句の連体形止めは良いか?悪いか?

俳句の連体形止めについて
俳句の連体形止めは余韻がでると言われていますが
これは、連体形の使い方によって変わってくると思います
それぞれの使い方を見ながら、考えたいと思います
名詞 + 連体形止め
秋風の ひとつ過ぎりて 街暮るる(連体形)
このタイプの連体形止めは、少し問題があります
通常、連体形は名詞に接続するので
暮るる街 「暮るる(連体形)+ 街(名詞)」
であるはずなのに
街暮るる 「街(名詞) + 暮るる(連体形)」
として使っているからです
このような句は、余韻を感じるというよりも、文法の違和感を強く感じてしまいます
そして、このような連体形止めは
街暮る(終止形)で終わると4音になってしまうため
街暮るる(連体形)で5音にしてしまおう、という安易な意図も感じてしまうのです
季語で連体形止め
季語を連体形止めで使っている例はよく見かけます
 
松影の ひとつひとつが 冬ざるる(連体形)
この使い方も問題があります
「冬ざれ」は名詞ですので、「冬ざるる」といった活用はしません
「冬ざれ」は元は
「冬去る(冬が来る)」の已然である「冬去れ(冬になっている)」という言葉で使われていたものです
それが濁音で発音されるようになり、「冬ざれ」となったものです
仮に「去る」が活用しても連体形は「去る」です
「冬ざるる」と同様の例として、「秋晴るる」などが見られます
季語を活用させて連体形止めにする場合は注意しましょう
もし使う場合は一度、その言葉を未然形や命令形に直しても自分は使うのか、考えてみると良いかもしれません
例えば、命令形の
「冬ざれよ」「秋晴れよ」でも、自分は使うかなと
名詞から始まり、連体で終わる
遺訓あり 秋風のなか 諳(そら)んずる(連体形)
自分には父の残した教えがある。秋風の中でそらんじている。
というような意味です
通常、連体形は名詞に接続するので
連体形で終わると、その後に何か繋がりそうな気配、つまり余韻を感じさせます
この句の場合、前出の「遺訓」に繋がります
「遺訓」でなくても、句の流れから推測できる名詞をここで消して、連体形止めにします
上手く句を作ると、じわっと余韻が広がります
④「とき」「こと」などの体現を省略
海染むる 大夕焼けの 美しき(連体形)
この句は最後にあるはずの「こと」を省いたものです
本来ならもう少し文字が続くところを、突然切ってしまいます
文字は消えても、頭の中で言葉が響くような余韻が生まれます
この方法は「とき」「こと」などを付けて句を作った後に
「とき」「こと」を省けばよいので、わりあい作りやすいと言えます
連体形止めは、余韻がでると言いますがケースバイケースです
何でもかんでも連体形止めにすれば良いというものではありません
①②のタイプの連体形止めは、失敗することが多いので注意しましょう

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